時は第二次世界大戦中の1944年、舞台はアメリカ、イリノイ州の街、マトゥーン。
当時のマトゥーンは、住民2万人未満の静かな街であった。
これは事件より60年前の1884年に、マトゥーンの街を上から見た図である。
マトゥーンは2つの鉄道が交差することにより、急速に発展した新興都市で、小さいながらも、学校、ホテル、多数の教会、地元新聞社など施設も充実していた。
比較的裕福な中流階級の地域で、決して治安が悪いわけではなかった。
1944年9月1日の夜、マトゥーンに住む主婦・カーニー夫人が3歳の娘と一緒に寝ていると、娘が咳をするのが聞こえた。
目を覚ますと、なぜか甘い匂いがする。
窓の外の花の匂いかと思い、無視していたが、すぐに匂いが強くなってきた。
ふと、カーニー夫人は体に違和感を覚えた。
足の感覚がない。
そして、唇と喉が焼けるように熱い。
動くことができないカーニー夫人は、パニックになり、当時たまたま家にいた妹を大声で呼び、助けを求めた。
すると、駆けつけた妹も、甘い匂いを感じた。
騒ぎを聞きつけた近所の人が警察を呼んだが、怪しい人物の痕跡は見つからなかった。
タクシー運転手をしていたカーニー夫人の夫、バート・カーニー氏が深夜に仕事を終えて帰宅すると、怪しい人影が自宅の窓を覗き込んでいるのを発見した。
カーニー氏は追いかけたが、相手の足が早かったため、捕まえることはできなかった。
このとき目撃された人影は、全身黒ずくめの服装で、ぴったりした帽子をかぶり、背の高い痩せ型の男であった。
翌朝、地元新聞の一面に「麻酔薬徘徊者逃亡中」という記事が掲載されると、同様の被害の報告が立て続けに続いた。
最初に報道されたのはカーニー夫人の事件だが、実際はこの前に2件発生している。
詳細は後述。
みな同じく、妙な匂いを嗅いだあとに、足の麻痺、咳、吐き気、嘔吐などの症状を訴えた。
新聞が「麻酔薬」という言葉を使ったように、当初はクロロホルムによる犯行が疑われた。
しかし、クロロホルムはこれほど強い症状を引き起こすものではなかったため、捜査は難航した。
カーニー夫人の事件から4日後の、9月5日の夜。
コルデス夫人が布を取って匂いを嗅ぐと、電気ショックのような強い衝撃を感じた。
みるみるうちに顔が腫れ、口と喉が焼けるように痛み、嘔吐が続いた。
白い布は回収され、分析されたが、コルデス夫人の症状を引き起こすような化学物質は検出されなかった。
またこのとき、現場付近から、使い込まれたスケルトンキーと、ほぼ空の口紅のチューブも発見されたという。
スケルトンキーは、1800年代に広く使われていた、セキュリティの低い錠前を開けることのできる万能鍵のこと。
もし毒ガス犯のものならば、家に侵入してくるかもしれない。
人々は恐怖に襲われ、マトゥーンでパニックが始まった。
ショットガンやピストルで武装した町民の集団が夜警を行い、女性は外出するときに必ず、バットやクラブなど武器になるものを持ち歩いた。
静かだった街は、たった一週間で物騒な街になってしまった。
翌日9月6日には、7件の同様の被害が報告され、ついにFBIが介入した。
背の高い痩せた男が逃げるのが目撃されたが、逮捕には至らず、さらに被害は続き、9月10日までに合計20件を超える報告があった。
地元の学校の校長、スミス夫妻は、執拗に一日三度も襲撃を受け、さらに別の日にもまた被害を受けた。
事件発生リスト
事件発生日 | 被害者 | 場所/備考 |
---|---|---|
数ヶ月前 | Olive Brown Miss Crissie |
208 N. 22nd St. |
8/31(木) | Mr. Urban Reef Mrs. Urban Reef |
1817 Grant Ave. |
9/1(金) | Mrs. Bert Kearney Dorothy Ellen Kearney |
1408 Marshall Ave. 黒づくめの服装、ぴったりした帽子 |
Mrs. Charles Rider Ann Marie Rider Joe Rider |
2508 Prairie Ave. | |
氏名不詳の女性と子供 | ||
9/5(火) | Mrs. Beulah Cordes | 921 N. 21st St. 布、スケルトンキー、口紅のチューブ発見 |
Mrs. Leonard Burrell | 809 N. 13th St. | |
9/6(水) | Mrs. Laura Junken | 821 Richmond Ave. |
Mrs. Ardell Spangle | 821 N. 15th St. | |
Mr. Fred Goble | 背の高い痩せた男が庭から走ってくるのを目撃 | |
Mrs. Glenda Hendershott | 612 S. 14th St. | |
Mr. Daniel Spohn | 801 N. 19th St. | |
Mrs. Cordie Taylor | 617 Charleston Ave. | |
Miss Frances Smith Miss Maxine Smith |
2100 Moultrie Ave. | |
9/7(木) | Miss Frances Smith Miss Maxine Smith |
2100 Moultrie Ave. 同日に3回襲撃。青い蒸気のようなものが見え、モーター音が聞こえた |
9/8(金) | Mr C.W. Driskell | 2320 DeWitt Ave. |
9/9(土) | Mrs. Genevieve Haskell Grayson Wayne Haskell Mrs. Russell Bailey Miss Katherine Tuzzo |
17 Westwood |
Mrs. Lucy Stephens Jimmy Hardin |
521 N. 32nd St. | |
9/10(日) | 氏名不詳の女性 | 2300 Champaign Ave. |
氏名不詳の女性 | 600 block of Moultrie Ave. | |
Miss Frances Smith Miss Maxine Smith |
2100 Moultrie Ave. | |
9/13(水) | Bertha Burch | 小柄でふくよかな女性の目撃情報。女性の足跡発見 |
四塩化炭素またはトリクロロエチレンはどちらも甘い匂いのある化学物質である。
しかしアトラス・インペリアル社は、四塩化炭素は消火設備に、トリクロロエチレンは工業用溶剤に含まれているものの、町民を病気にできるほどの在庫はないこと、工場内で同様の症状を訴えた者がいないことから、有毒廃棄物の可能性を否定した。
画像の地図は、赤いマークが毒ガス犯事件が発生したとされる場所、緑のマークが工場地帯である。
事件は二週間の出来事だが、地図を見る限り、工場の周囲や工場の風下に集中しているとも言い難い。
地元の公衆衛生長官・トーマス・V・ライトは、一連の事件は、集団ヒステリーによるものではないかと発表した。
当時のマトゥーンは、地元のほとんどの男性が戦争に出ていたため、女子供の世帯ばかりであった。
元々不安な状況であったところに、カーニー夫人の事件が新聞に掲載され、ヒステリーを煽ったとされている。
以後、この集団ヒステリーが有力な説となった。
最後の事件は9月13日に起きた。
このとき犯行現場から逃走する姿を目撃されたのは、女性用の靴を履いた、小柄でふくよかな人物であった。
そして、毒ガス事件はひっそりと収束していった。
さて、この事件は本当に集団ヒステリーだったのだろうか?
汚染廃棄物だったのだろうか?
毒ガス犯は実在したという説もある。
犯人はどんな人物なのだろうか?
あなたはどう推理する?
イリノイ州の歴史家であるスコット・マルナ氏は、「ファーリー・ルウェリン」が犯人だと考えている。
ファーリー・ルウェリンは、マトゥーンで食料品店を営む両親のもとに生まれた。
ルウェリン食料品店は、マトゥーンの街の北東部にあった。
現存していないものの、少なくとも2006年までは事件当時の住所に食料品店があったという。
2023年現在、ルウェリン食料品店のあったとされる場所には、窓ガラス設置業者が存在している。
父親は地元で有名な慈善家で、とても人気のある人物だった。
ルウェリン家の隣にあったブリーズ家は、6人の子供を抱える未亡人が暮らす貧しい家だった。
毎年、クリスマスイブには、ルウェリン氏が食料やお菓子を差し入れてくれたという。
ファーリーは、約188cmもある長身な青年だった。
マトゥーン高校からイリノイ大学に進み、化学を専攻して、優秀な成績を収めた。
しかし、大学から戻ってきたときには、精神面でも、健康面でも、大きな問題を抱えていた。
ファーリーはアルコール依存症に陥っており、また同性愛者でもあった。
当時、アメリカには、ソドミー法という法律があった。
特定の性行為を禁止する法律で、多くの場合、同性間の性行為を対象としていた。
つまり、同性間で性行為を行った者は犯罪者で、長期の懲役や重労働が課せられる世界だったのだ。
30代になるにつれ、ファーリーは奇行が目立つようになった。
町の人々は「ファーリーは正気を失ってしまった」と思っていた。
また、ファーリーには二人の姉または妹がいた。
名前は、フローレンスとキャサリン。
この姉妹は引きこもりとして知られていた。
二人はガッチリした体格で、いつも床まであるようなドレスを着ていて、あまり清潔ではなかったらしい。
姉妹たちは店でレジ打ちをしていたが、ファーリーが店で働いているところはほとんど見られなかった。
ファーリーは、親の食料品店の裏のトレーラーハウスに住み、そこで化学の研究を行っていた。
近所の人の記憶によると、マトゥーンの狂気の毒ガス犯事件の直前に、ファーリーの実験失敗により爆発が起こり、トレーラーハウスが壊れたことがあったらしい。
爆発の原因をファーリーや姉妹たちは明らかにしなかったが、化学教師でもあるマルナ氏はテトラクロロエタン(C2H2Cl4)を合成していたのではと考えている。
テトラクロロエタンは非常に揮発性が高く、透明な油状の液体で、甘くてフルーティーな香りがするという。
これを高レベルで吸い込むと、疲労、嘔吐、めまい、場合によっては意識不明を引き起こす可能性があるそうだ。
幸せそうな被害者たちをうらやんだのか、過去に何かされて恨みがあったのか、それとも自分のことを悪く言っているという被害妄想だったのか、はたまた実際に悪く言われていたのか、今となっては知る由もないが、毒ガス犯事件の最初の3人の被害者は全員30代半ばで、ファーリーの高校の同級生だったという。
また、執拗に何度も襲撃を受けた地元の学校の校長は、資料によっては高校の校長だったと書かれているものもあり、学生時代の因縁を感じさせる。
ファーリーは9月10日に逮捕され、残りの人生を州の精神病院で過ごした。
最後の事件とされる9月13日に目撃された「女性用の靴を履いた、小柄でふくよかな人物」は、明らかにそれまでの目撃情報と異なる。
これは、引きこもりの姉妹なのではないか。
兄(または弟)をかばおうとして、ファーリーが事件を起こせなくなった逮捕後に、模倣事件を起こしたのではないか。
当時を知る年配の地元民たちに話を聞くと、みんな毒ガス犯はファーリーだと知っていた。
しかし、ファーリーの父親は、地元でとても愛され、人気のある慈善家だった。
息子が奇行に走ったからといって、公の場で晒し者にするつもりは誰もなかった。
街の人々は事件の犯人については口を閉ざし、「集団ヒステリーの街」として噂されることに黙って耐えてきたのだという。
事件から50年以上が経ち、ファーリーの縁者がこの地からいなくなって、やっと真相が語られだしたのだ。
なお、マトゥーンのあるイリノイ州は、アメリカ初の同性愛者の権利団体が設立された州でもあり、最も早くソドミー法を撤廃した州でもある。
イリノイ州でソドミー法が撤廃されたのは1962年、マトゥーンの狂気の毒ガス犯事件より18年後のことであった。
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